CO2排出削減は誰のため?

CO2排出削減は、石油資源の節約として
というレベルなら理解できる。
解らないのは、地球温暖化と本当に関係があるのか、という点だ。


オゾンホールとフロンと紫外線の関係も、理論はあるんだろうけど
結構、怪しいんじゃない?


CO2を減らせば温暖化が防げる〜温暖化を防いで海面上昇を
食い止めよう、というのは、
どうも”風が吹けば桶屋が儲かる”的に感じてしまうのだ。

CO2を減らすと、誰が得をするのか?
やはり後押ししているのは原発関係?
テレビCMで核廃棄物を地中に埋めて、これを「処理」と呼ぶ
のがあるけど、子供が宿題をやっているのと対比させて、
大人は宿題を残し、目を逸らしていることを表現したいのか。
もっとパンチを効かせて欲しいものだ。


キレイ事ばっかりじゃなくて、利害関係もしっかり開示させて
見極める必要があることがたくさんある。

太極拳って面白いよね。

太極拳の簡化二十四式を練習してるんだけど、面白いよ。

最近思ったことは、太極拳は「空間に書道」って感じ。

姿勢を正して、しっかりとdraw、たっぷり溜めて。
ゆっくりと筆を上げる様に、緩める。
目線は常に筆先ならぬ手の向こうを見て、
もっと細かく言えば、目線で動きをリードして。

套路は名文とはよく言われるが、
人毎の拳風は書体にあたるだろうか。

選挙と教育

国会が無様だ。
自分たちで選んだはずの議員が、国とか国民のためでなく
党のためだけに動いているように見える。

「結局、選挙に行って投票しても、何も変わらないじゃん」
政治に関与している実感が湧かないというのが、
投票率が低迷している大きな要因の一つだと思う。
税金をこういう風に使っている、要望したらこう変わった、
というのを、分かりやすく示していくことが必要だ。さておき。


小学校の頃から、生徒会長を決める手続きとして
本物の投票箱を使って投票のマネゴトをさせられたりした。
しかし、生徒会長が誰になったところで、何が変わるわけでもない。
(たぶん本人以外には)
選挙とは、漫然と、目的や見通しをする必要なく、
人気投票をすることだと学んでしまうのだ。

この国はそういう、魂の無い選挙教育をしてきた国だから、
実際の選挙も人気投票の域を出ないし、
投票による政治参加の意識も育たない。

この状況を改善するには、義務教育から変えないとね。
(それとも、意図的に骨抜きに?)

まあ、実際の選挙・政治が「お手本」になるレベルでないと
どうしようもないけどね。

事件の憶測から

小学女児の同級生殺人が話題になっている。

先々週の「サンデージャポン」でテリー伊藤がコメントしていたのが
一番切り込んでいたと思う。(結局憶測だが)

それは女児が、サディスティックな映像を見た経験があるはずだ、
と言う点。


非常に共感した。


僕は、映画「バトルロワイアル」をまだ見ていない。
子供は見て良いんだったっけ?R指定?

生きた動物をカッターで傷つけた経験もあるだろうし、
実行する意志を貫くためにも、イメージトレーニングに
相当することをかなりやったのではないだろうか。と想像する。

事件を検証するには、事件当時の精神状態を洗うよりも、
今まで触れてきた文章や映像を検討し、
行動や記述も確認した方がいいと思える。
(もうやっているだろうけど)


子供に表現の自由は有るか?
子供にプライバシーは有るか?
子供に知る権利はあるか?

僕は、子供の出し入れする情報は親の管理下に有るべきと思う。

丸腰国家のあり方は?

憲法第9条では、武器を持たないことになっている。
今の日本は、なし崩しに、事実上、外国に軍隊を送っている。

これは、明らかに矛盾していると思えるが、国の代表たる首相は
問題ないと考えているようで、納得できる説明が無い。


日本は、領土問題など外交関係において、一方的に無行動であり、
「丸腰ではやってられない」「国として最低限の武装は必要」との
意見もわからないでもない。

しかし、今の憲法が戦後出来た時、
憲法草案者は、政府は、国会は、天皇は、どういう未来を
想定してこれを国の中心とするものに定めたのだろう。

「丸腰でやっていこう!」という宣言に、秘策があったのだろうか。
(あると思いたいのだ。)
「武力戦争」をしない独自の国家スタイル、コンセプトを創出し
世界の国々に認めさせる、そういう決意を憲法に示したのだから、
それを読んだ国民は行動を起こすだろうと、当時は期待したのでは
ないだろうか。

平和国家を実験的にしろ、アメリカ管理下であるにしろ、
作っていこうと思ったのに、それを具体的な行動に展開せずに
怠ってきたのが、今の日本の見下げられた国際的地位に
繋がっているのだと思う。

日本酒は焼酎に比べて悪酔いするか?

昨夜、清清麦麦で話していて思いついた話。

清酒は、挨拶や話しをする度に、注いだり注がれたりするので、
自ずと摂取アルコール量が多くなってしまう。
これに比べて、焼酎は飲み方も自分で決めて、自分のペースで
グラスが空いたらお代わりをする。

世間では、焼酎が”悪酔い”しにくい理由を
酒の物性に求めているような気がするが、
飲み方にまつわる習慣の方がウェイトが大きいと僕は思う。

飲みすぎは、清酒でも焼酎でも、どっちも辛いけどね。

とにかく、始めてみます。

思いついたことは、残しておかないと「あっ」という間に
風化して消え飛んでしまいます。

だから、出来るだけ覚えているうちに書き残して、
後で自ら振り返った時、「あの時はこう考えていたのか」というのを確認したいのです。