T師兄語録 7

僕は、爪を短すぎるくらいに深く切る。


T師兄によれば、
「点穴の時、爪の痕が残らないように」するのが
望ましいらしい。


鉄砂掌の鍛錬で、砂などに指先を突き入れるものがある。
これをしていると、爪は先が削れて半分くらいになるが、
指先が鍛えられて、敵の皮膚を裂くのに十分な強さになり、
爪を剥ぐ心配もない。らしい。


超・秘伝らしいが、指立て伏せの練習時に、
指は腹を使わず、指を垂直に立てる、
普通の腕立てでも、指に力を入れて同時に握力を鍛える、
指先を鍛える時には、目を傷めてしまうので(!)
漢方薬を服用しながら続けるのが本式。らしい。


単に手で握る筋力の握力でなく、
全身の剄力で一瞬に相手を掴み制圧する抓力を鍛えることが
求められる。


掴む強さが強ければ、単純に考えても相当強い人だ。


握力は衰えたが、爪に頼らず、
ツボを指先で押しても爪跡が残らない様に、
深く爪を切るようにしている。

T師兄語録 6

T師兄は、僕の占いの師でもある。
まあ、遊びだが。


「手相は、過去のことはよくわかる。」

と言う。
「右が先天、左が後天」とも言っていた。

過去の流れを、努力で変えていく、というのだろうか。
まあ、過去が判れば、相談者は信用しやすいだろう。
あとは、占いなんて、当たるかどうかよりも
相談者が相談し終わったときに納得するかどうかに尽きるわけだし。


未来予測としては太陽線に注目していた。
体に刻まれたものに運命を感じ、頑張るための
よいアドバイスになりそうだ。


占いに対する興味が加速し、
観相、易、タロット等の本を開いてみたりした。


僕の結論としては、占い師は自分を占わない。
願いがあるなら、占う前にやるべきことが判ってくるから。


自分の力ではどうにもならない所までやって、
斎戒沐浴して、どっちのお告げでも必ずその通りにすると誓って、
一度だけ占うというのが、本当の占いだろうね。

T師兄語録 5

蟷螂拳は分筋破骨」

肉を裂き、筋を切り、骨を折る。そのために必要な
スピードやパワーや鋭さ硬さが、自ずと決まってくる。
拳風の要求に答えられる体作りの基本功や鍛錬が
型の練習と共に、極めて重要な習得事項だということが
解ってくる。


T師兄は、ヌンチャクを指導してくれた。
紐で木製の六角柱を結んだものを買ってきて、
皮ひもを付け直す。


皮ひものヌンチャクはT師兄の空手の流儀で、
鎖で繋いだ物と違い、刃物を受け止めることは出来ないが
突く攻撃をすることが出来る。


ヌンチャクで狙うのは膝の外側やコメカミ等、「骨の部分」。
これを破壊するイメージで、振るスピードを要求する。


振りが遅いと「ぶおっ」という音だが、
早く振ると、「シュッ」と鋭い風切り音になる。


ただし、精神衛生上、人を壊すイメージをし続けることは
日常生活によろしくありません。経験上。

T師兄語録 4

蟷螂拳は、そのまま使える。」


確かに十路弾腿とかは、そのままじゃ使えないだろうけど。


ジャッキーチェンの初期のカンフー映画の特訓シーンが
僕は大好きなんだけど、練習の動きが、クライマックスの
敵のボスとの戦いで役に立つ!っていうところがイイ。

型はそのまま使えて当たり前のような気がしていたけど、
確かに太極拳は抽象的だ。哲学的か?


どの流派のどの套路に含まれる技も、
先人が考え抜いて編み出した必殺技だ。


そんな名文の意図を読み取り、体得していくことが
拳の練習であって、上手に型をトレースできるように
なることが目的でないと思う。


太極拳も同じと思う。


T師兄は、蟷螂拳の動作は「力いっぱいやれ」と
考える暇を与えてくれない。
力いっぱいも、練習者の段階が進めば変わってくるという。

T師兄語録 3

T師兄の存在は、僕が中国武術
信じて疑わない最も大きな根拠の一つだ。


空手、ボクシングを経て蟷螂拳に行き着いたT師兄は、
見た目には、眼力こそ只者でないが、体重は軽く、細身で背も高くない。
(蘇先生なんて、でかくて見た目にもいかにも強そうだ)
しかし、動き出すした拳は、これが蟷螂拳だ!という
感じに、断固とした強引さというか、
キレとスピードとパワーを持っている。


蟷螂拳の前に何か付いているのはニセモノ。
本物は何も付いていない。」


蟷螂拳はいくつかの流派に分かれており、順不同で
七星、八歩、六合、秘門、八極、等々の門派の呼称を
蟷螂拳の前に付けて呼ばれ、または自称している。

これらをひとからげに、切り捨ててしまう、不敵さ。
シビレたね。

T師兄語録 2

『天気の悪いときは座学』

晴耕雨読、という言葉があるのは知っていたが。
中国武術の師兄であるT氏は、新宿スポーツセンターの練習の後、
しばしば僕を喫茶店に誘い、武術の周辺領域のことを
色々と聴かせてくれた。


この時、腕の軽い打撲などには、薬を摺りこんでくれた。
『武術を教える者は、学生のケガを治療できないようじゃ恥になる。』
と言いながら。


技の解説、練習カリキュラムについて等の事はもちろん、
台湾での鍛錬法、武術の流派の系譜や、他流派のこと、
気の流れをコントロールするための道教式座禅の必要性などなど
話題は多岐にわたった。

体を動かす練習と、知識の蓄積の双方を重んじていたと思う。

T師兄語録

僕の生き方に多大な影響を与えた人物、T師兄。
この人の言葉を書き残したいと常々思っていた。

思い出すものから、解説を加えたい。


『頭をかくな。卑屈に見える。』

これを一つ目に出したものかどうか。
しかし、この言葉が、当時の僕にとっては当に衝撃だった。


大学生であった僕は、親元から離れ、身なりも行動も気ままで、
他人の目にどう映るかは、全く気にする必要の無いものだと
自分の中で断じていた。

しかし、服装の気の使い方も僕とそう変わらないと思えた
T師兄からそう言われた時、初めて、見た目や行動が
印象を左右し、印象によって対応が変化することに気付かされた。
その後、僕が服装に気を使うようになったわけではないが、
卑屈には見られない方が良いのではないか、見られたくない、という
発想が初めて湧いてきたのだ。
人は、他人への印象を気遣って(無意識もあるが)
身なり立ち居振舞いをコントロールしていると知った。
その気遣いの在りようと視覚情報の影響は、考察に値する!と思えた。


頭に触れるだけで、卑屈に見える。
卑屈に見えないように、隙の無いように。
T師兄は九州男児、サムライであった。